毎日新聞が創刊110年を記念に創設した毎日ファッション大賞は本年で42回を数えます。その年最も優れた成果をあげたファッションデザイナーや企業、団体を顕彰する「大賞」にスポットライトが集まるのは当然として、日本のファッションの明日を担うデザイナーに贈られる「新人賞・資生堂奨励賞」もプロデビューしたデザイナーたちが目指すベンチマークとなっています。今回のMainichi Style Editionは、そんな「新人賞・資生堂奨励賞」の舞台裏をのぞいてみました。
そもそも毎日ファッション大賞って?
毎日新聞が創刊110年を迎えた1980年代は、日本がモノづくり大国として世界に向かって存在感を示した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の年代。後半はバブル経済が膨張していきます。自動車や電気製品だけではなく、日本のファッションも世界に向かって発信しようという機運の高まりのなかで、毎日新聞が創設したのが「毎日ファッション大賞」です。
1982年の毎日ファッション大賞の発足の背景にはそのころ世界で注目を集めるようになった日本人デザイナーの存在があります。森英恵さん、三宅一生さん、川久保玲さん、山本耀司さん、山本寛斎さんらの華々しい創作活動は、日本にデザイナーブランドブーム巻き起こします。毎日ファッション大賞の第1回の受賞者は、そのトップランナーであったコムデギャルソンの川久保玲さんでした。黒を基調としたアバンギャルドなコレクション。それを着た若者を当時のマスコミは「カラス族」とネーミングしたものです。デザイナーブランドはその後も増え続け、現在の「楽天ファッション・ウィーク東京」につらなる東京ファッションデザイナー協議会(CFD)の最初のコレクションショーが1985年にスタートします。
新人賞・資生堂奨励賞を契機に飛躍するデザイナー
21世紀に入り、毎日ファッション大賞にひとつのはっきりした傾向が表れました。それは新人賞・資生堂奨励賞の受賞者のなかから後に大賞を受賞するデザイナーが次々と登場しているということです。例えば、古田泰子さん(TOGA)、森永邦彦さん(ANREALAGE)、落合宏理さん(FACETASM)、黒河内真衣子さん(Mame Kurogouchi)らの今をときめくデザイナーたちです。それはこの賞を自らのプロとしての創作活動の目標、ステップとして捉えているデザイナーが育っているということにほかならず、賞を通してのデザイナーのインキュベーションをはかるという毎日ファッション大賞の所期の目的が着実に現実化していることでもあります。
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古田泰子さん
TOGA2003年新人賞・資生堂奨励賞
2009年、2018年大賞 -
森永邦彦さん
ANREALAGE2011年新人賞・資生堂奨励賞
2019年大賞 -
落合宏理さん
FACETASM2013年新人賞・資生堂奨励賞
2016年大賞 -
黒河内真衣子さん
Mame Kurogouchi2014年新人賞・資生堂奨励賞
2023年大賞
歴史的にもファッションと美容は切っても切れない間柄。資生堂はコレクションのヘアー&メイクアップや広告、PR活動を通して常にファッションとそのクリエイターたちをサポートしてきましたが、毎日ファッション大賞では新人賞デザイナーに対し資生堂奨励賞として100万円を贈呈しています。さらに受賞デザイナーとコラボレーションしたオリジナルの新聞広告ビジュアルを作成し、毎日新聞の紙面上とこのMainichi Style Editionで発表しています。これは毎日新聞のみに掲載される特別な新聞広告です。デザイナーがファッションを通して表現したいメッセージと資生堂の理念が出会うとき、どんな写真が、キャッチコピーが生まれるのか? 他のファッション関連の顕彰と一味違う毎日ファッション大賞新人賞ならではのユニークな試みです。
新人賞・資生堂奨励賞は
エスモードジャポン東京校を卒業後、PR会社を経て、イタリアへ渡る。John Richmond(ジョンリッチモンド)やJIL SANDER(ジルサンダー)などで経験を積み、帰国後2019年に自身のブランドを設立した。ブランドコンセプトは“Luxury of Silence (ラグジュアリーオブサイレンス) ”。表層的な華美なものではなく、ブランドを通じて内面も含めた人間の美しさを引き出していきたいという想いが込められている。海外仕込みの美意識、テクニック、ミニマルなスタイルに定評があり、日本発のラグジュアリーエレガンスをけん引していくような存在で、グローバルな活躍が期待されている。
8月末に行われた村田さんのSPRING-SUMMER COLLECTION 2025は”BUT THE IDEA, THE ESSENCE OF THINGS”(概念、あるいは物事の本質)というテーマを掲げて国立新美術館で開催。前シーズン、アウグスト・ザンダー※1の写真作品をインスピレーションに、社会に生きる人間の造形性に迫ることで、装うことの喜びを浮かび上がらせようとした試みをさらに深め、彫刻家ブランクーシ※2の思想を手掛かりに美の本質を追求しました。彫刻のような衣服をまとうことで発生する着用者の仕草や身体の動きを通じて美しさを発見することが着用者自身に内なる美を発見させ、村田さんの提唱するLuxury of Sileceへと呼応していきます。なかでも今年創業100年を迎える京都の西村商店の工房の協力によって実現した伝統的焼箔技術が用いられたシリーズは、時間とともに変化する美を布の上に封じこめ、コレクションに時間的な要素を加えています。
デザイナー村田晴信をひもとく!
インタビューが行われた東京青山のThe Wall内にあるHARUNOBUMURATAのプレスルーム。ガラス窓に映る青山の樹木がサンプルコスチュームをやさしく包んで。
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01新人賞・資生堂奨励賞受賞の率直な感想を。「名前を残す」ということが僕自身にとってもブランドにとっても大きな目標でもあったので、歴史ある賞に名前を刻めて名誉であり、たいへん光栄です。
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02ファッションデザインを自分の一生の仕事にしようと思ったのはいつですか?高校3年の卒業後の進路を決めるときでした。中高生のころから服が好きで、それは家族も知っていたのですが、兄弟も普通の大学に行っていましたし、まさか僕が「ファッションデザイナーになりたい」と言い出すとは思っていなかったようで、家族、親戚が全員集まっての大家族会議になってしまったんです。祖父母を味方につけ、いまから思えば生まれて初めてのプレゼンをやったわけです。
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03人生最初のプレゼンの決め手はなんだったんでしょう?熱量だったと思います。「やりたいことは大学4年間の間に探せばいいじゃないか」という意見も出ましたが、僕にとっては「ファッションデザイナーになりたい」と決まっているのだから、その4年間は無駄だとブレなかったです。家族会議で宣言したからには途中で投げ出せません。このプレゼンがその後も僕のモチベーションにもなり、エスモードに入学してからもストイックにがんばれました。
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04村田さんのクリエーションの原点となったエスモードでの卒業制作とはどんな作品?「静謐(せいひつ)」という言葉がその響きも含めてその当時自分が作ろうと思っていたミニマルな服のイメージを表しているなと思っていました。しかし、卒業制作ですからほかの学生は手作業で作りこんだ作品に取り組んでいます。そんななかで布一枚のようなミニマルな作品でいいのだろうかという葛藤もありましたが、勇気をもってそこを乗り越えたことが自分にとって大きかったですね。
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2009年神戸ファッションコンテスト受賞作品は「静謐(せいひつ)」がそのテーマ。現在のブランドコンセプトにも通じる村田さんのデザインの原点です。この作品はまた村田さんのイタリア留学の道を開きました。
(HARUNOBUMURATA提供) -
05エスモードといえばフランス発祥のファッション・スクール。卒業後にフランスではなく、イタリアに行かれたのはなぜ?それまではフランスに行こうと思っていました。ところが、卒業制作で使用した生地のトリプルオーガンジーがイタリア製だったのです。イタリアはコモ湖のシルクであったり、優れた素材の産地なので、そういった素材に触れて創作するのがデザイナーとして伸びる道じゃないかと審査員の方からアドバイスをいただいたのです。
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06イタリアに行くにあたって言葉は大丈夫だったのですか?早くから海外志向だったし、高校は進学校で、言語もある程度は準備ができていました。ただ、ジル サンダーに入ると、生産チームはイタリア人のチームなのでイタリア語ですが、クリエイティブは世界各国からスタッフが集まるので共通語は英語。これも短期間で集中して勉強して最低限のコミュニケーションは図れるようになりました。
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07ジル サンダーで受けた最大の影響は?パトリックというベルギー人のデザイナーの影響が大きかったですね。彼のデザイン画はそれはパタンナー泣かせの適当さで、案の定できあがってきたものはよくないんです。でもパトリックがそれをモデルに着せて、上下をさかさまにしたり、いろいろ動かしているうちに服がキレイに見える瞬間がある。それを切り取るのがうまい。その瞬間を発見するために常に自分の美意識を磨いているような人なんです。仕事中に突然ギャラリーに行くと言って壺を買ってきたり。そんな自由なスタイルが僕にはとても合っていると思いました。
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08村田さんのブランドもジル サンダーのように世界各国から才能のあるクリエイターが集まるデザインチームを作りたいですか?はい。それぞれが自由に自分の文化的背景や価値観をぶつけ合いながらクリエイトしてゆく、そうすることによって「自分が思っていたこと」以上の創造ができると思うんです。いまはそういうクリエイティブな環境を作れるよう注力しています。
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09村田さんにとって「エレガンス」「ラグジュアリー」という言葉はどういう意味を持ちますか?ブランドを立ち上げたときの理念で「美とエレガンスを愛する人に向けてクリエイションを通じて特別な感動を提供しましょう」というのがあります。ここで言う美は外面的なもの、エレガンスは内面も含んだ人間の美しさです。それをクリエイションを通して引き出していきましょうというのがブランドの大きなコンセプトなんです。そこには人生の豊かさ、心の豊かさ、すなわちラグジュアリーのようなものが大切なポイントになると思っています。
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10そんな村田さんの服の精神性、どうやってお客様にコミュニケートされるんですか?コレクションを発表したあと、展示会を行います。そこにプレスとバイヤーさんだけでなく、一般のお客様もお招きして、僕自身がコレクションの背景を説明します。友達のような感覚で、その服をどう着てほしいか、ポケットに手を入れると美しくみえますよとか……お客様に対しそういう説明、ワンステップがあることによって、実際に試着したお客さまも鏡のなかの自分の姿に「自信が出た」「素敵な立ち姿になれた」と思ってくださったりします。
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11お客様はどういう方が多いのでしょう?自分の人生を意思を持って、よりよいものにしていこうとしていらっしゃる方が多いという印象ですね。人生を豊かにするには「自分のふるまい」が大きく作用するよねという意識をもっていらっしゃるので、そういう方の姿、ふるまいがより豊かで、美しく、僕たちが憧れるような存在に見えるような服作りを心がけています。
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12村田さんの、あるいはブランドのミューズのような方はいらっしゃいますか?ファッション界の有名人とかそういう方ではなくて、これまでの人生で出会ってきた人ですね。たとえばジル サンダーのプロダクトチームをまとめていたヴァレンティーナという背の高い、美しいイタリア人女性。僕の上司であったクリストファーという英国人を彼のデスクの上に座って説得したりするその姿が軽やかで、その軽やかさのなかにしっかりとした強さ、厳しさもあり、素敵な大人の空気感をまとっているんです。ヴァレンティ―ナのような女性の「あのときの、あのふるまい」のようなものがデザインをするときの僕の頭のなかに常にあって、それがデザインに表れてくるんです。
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13村田さんの服が他のデザイナーやブランドと違うところはどこ?デザインする「目的」の違いですね。僕はいい服を作るためだけにデザインをしているのではなく、対人(ひと)なんです。着る人の人生を豊かにする、そこにポイントを置いています。物ではなく、そういった「意識」をデザインしている、そう言い換えてもいいです。
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14今回Mainichi Style Editionで村田さんの最新コレクション動画を掲載しています。あのコレクションの発想はどうやって生まれたんでしょう?
ブランクーシ※の展示を見にいったんですが、その影響が大きかったです。ブランクーシは、例えば鳥の「翔ぶ」という本質を抽出し、彫刻で表現しました。それを服というプラットフォームでやったらどうなるか?というのが今回のコレクションでの試みです。人が歩いたり動いたりする軌跡を、つまり人の本質を写真ではなく、彫刻的に捉えて服に落とし込んでいきました。実際に彫刻的な石こうのようなテクスチャーも使ったり。
※ルーマニア出身の彫刻家。ロダン以降の20世紀彫刻を切る。
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15好きなデザイナー、意識するブランドは?JWアンダーソンはすごいなと思います。視点がおもしろいです。たとえば陶芸やクラフトのようなものに独自の美意識を見いだして、それをハイブランドのプラットフォームに乗せたりする。美意識の民主化ができるデザイナーってあの方ぐらいじゃないでしょうか。
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16今後のお仕事、どんなプロジェクトが進行していますか?今年元麻布にアトリエを移転したのですが、そこで1Fをアトリエ、B1をプライベートサロンのようなブティックとしてオープンする準備を進めています。実際にクリエイションが行われている場を横目に階段をくだり、プライベートな空間でコレクションを試着、お買い求めいただける場所作りを進行しています。私もおりますので、時間が許す限り直接お客様とお話しさせていただきながら特別な時間を提供できるようになりたいと考えています。予約制で、リニューアルしたウェブサイトから来店予約をいただけるようになる形で、今年中にはオープンができそうです。
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デザイナーと語りあいながら試着、購入もできるアトリエ&プライベートサロンは年内完成を目指す。オートクチュールにも似た新しい試み。
〒106-0046 東京都港区元麻布1-1-12 元麻布1112ビルディング
(HARUNOBUMURATA提供) -
17お忙しい村田さんの息抜きは?本を読むことですかね。読みながら夢想の世界に入ったり、意識を飛ばすのが楽しいです。
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18もしデザイナーになっていなかったらどんな職業を選んでいたと思いますか?ホテルマンかな。父がそういう仕事をしていたので。お客様に特別な時間を作って差し上げるとか、そういうホスピタリティーは今の仕事にも通じているかもしれませんね。
デザイナーの作品を紙面で紹介し、賞を贈るだけではなく、新聞というメディアの特性を強力に生かした企画を模索するなかで生まれたのがこのコラボ広告という企画。42年前の賞のスタート時には「コラボ」という言葉すらなかったのです。選考会で新人賞が内定すると、その情報はただちに資生堂に。そこからデザイナーのファッションデザインに対する理念と独自の表現(ニットに強い、オリジナルの素材を使用する、ビンテージ風であるなど)と資生堂の理念の接点を探す資生堂クリエイティブの検討が始まります。
今回村田さんの受賞が決定したのは6月下旬。そこからおよそ1カ月の検討を経て資生堂クリエイティブが提案したのが写真の企画書で、その内容はなんと40ページにもわたります。資生堂クリエイティブのクリエイティブディレクター矢﨑剛史さんによると、資生堂チームが着目したのはHARUNOBUMURATAの服作りのコンセプトであるLuxury of Silence。服に袖を通したときに生まれる仕草や気持ちの変化に美を見いだそうとする村田さんの服に対する向き合い方です。資生堂の初代社長である故福原信三は「ものごとはすべてリッチでなければならない」と語り、故福原義春名誉会長は、「そのリッチとは物質的な意味ではない」と断じています。この二者に通じる「ラグジュアリー」とは何かを思索し、たどり着いたテーマが「Luxury Moment/所作に宿る美」です。
「服のデザインを通じて人の振る舞いを変え、心までも豊かに満たすコレクションに着想を得て、ポケットのついたドレスをまとう女性の一瞬の所作に宿る美を捉えるビジュアルを企画しました」(矢﨑さん)とのこと。「カーテンの奥から不意に現れるモデルのまなざしが、挑発的なコピーとともに問いかける。豊かさが見失われつつある現代、この広告に出会うひとをハッとさせ、美しさを感じる時間を取り戻せるようなクリエイティブ」(矢﨑さん)を目指すことになりました。では、具体的にそれはどんな絵作りに?資生堂クリエイティブのアートディレクター國本羽乃さんは、村田さんが服を着る人物像にフォーカスをあてていることに着目しました。「その時代が考える美を表現し、後世にも残していきたいという思いは昔から絵画という手法で受け継がれています。西洋のエッセンスを持つ村田さんとマッチする『ピクチャレスク』をテーマに絵作りをしました」とのこと。そんなスペシャルなビジュアルにはモデル選びも重要です。フォトグラファーの金澤正人さんが「服の持つ優雅さを体現でき、力強い」と絶賛されたLianさんに決定し、いよいよスタジオ撮影です。
出会って生まれる
至高のクリエイション
プロップスタイリストが重厚ななかにも抜け感のあるセッティングを作り、資生堂のヘアメイクアップアーティストの二人が繊細かつ大胆な装いをほどこすなかで、村田さんがスタイリングの細部まで目を光らせます。レンズを通してそれらを調和させ、捉えるフォトグラファーの金澤さんは「ヨーロッパの画家のアトリエに差し込む光をイメージしたライティングと、色調においても絵画調」を意識しての撮影となりました。この手のかかったビジュアルにコピーライターの堤瑛里子さんによるキャッチコピーとボディコピーが加わったのが今回のコラボ広告です。企画段階から撮影まで資生堂チームに寄り添った村田さんも「美しさの発見をテーマにいくつかの振る舞いをヒントにした撮影で雄弁にブランドの目指す美の在り方を示してくれているようでした」「ディレクションの会議から資生堂チームがHARUNOBUMURATAの深層にある大事にしている本質の部分を丁寧に言語化していただき、とても安心して撮影に臨むことができました」と称賛するクリエイション、このMainichi Style Editionでお楽しみください!
初公開!コラボ広告の撮影現場
8月末、都内某所のスタジオで行われた撮影は、どんな仕事にもクオリティーの高さを求める村田さんと資生堂クリエイティブの両者がまさに「プロ中のプロ」の雰囲気を醸し出していました。
写真撮影:杉山節夫